温泉カリスマ『松崎久美子』
1、温泉カリスマの氏名
松崎 久美子(まつざき くみこ)
2、温泉カリスマの名称
入湯手形の仕掛け人
3、現職
ふもと旅館女将
4、略歴
1953(昭和28)年大牟田市生まれ。高校卒業後、神戸学院大学経済学部で学ぶ。1980(昭和55)年、黒川温泉のふもと旅館(1955年開業)に嫁ぐ。2男3女の母。1988(昭和63)年には女将の会を結成し、以後、毎年のように、研修旅行を積み重ね、女将としての力量を高めている。2002(平成14)年から2年間、熊本県観光審議委員を務め、現在、熊本県観光連盟の理事を務める。日本温泉地域学会には、2003(平成15)年5月、結成と同時に夫と共に入会し、毎回のように出席して、研修の実をあげている。2009(平成21)年5月には、温泉ソムリエの資格を取得した。
1989(平成元)年には、現在のふもと旅館別館を開業し、黒川温泉の別館ブームのさきがけとなった。2003(平成15)年からは、こうの湯を経営し、多店舗展開を行っている。
5、温泉カリスマの認定理由
平成期以前は、日本全国大半の人は、黒川温泉の存在を知らなかった。黒川温泉は、昭和39年10月のやまなみハイウエイの開通と共に、観光ブームを迎えたが、ブームは数年で過ぎ去り、元の没個性的な温泉地へ逆戻りをしてしまった。都会に出て働いていた旅館の2世が1980(昭和55)年頃からUターンをし始めて、まちづくりの意識が芽生えることになった。
女将は、大学在学中、日本各地を旅行し、観光地のお土産品である通行手形に興味を持つ。岐阜県の平湯温泉では露天風呂めぐりを体験した。父のすすめで、1980(昭和55)年、黒川温泉のふもと旅館に嫁ぐ。話があった時に、地図帳を開くと、黒川温泉の地名は存在せず、驚く。1982(昭和57)年、NHKの取材スタッフが旅館に宿泊し、地域全体だと取材が出来るという話を聞き、地域全体でのセールスを意識するようになった。当時の黒川温泉は、露天風呂を有する新明館がお客を集めており、これもヒントとなった。そして、宿泊した旅館以外でのもらい湯などもあって、お風呂巡りが地域全体の情報発信になると思い、夫や女将達と話し合った結果、1986(昭和61)年に入湯手形の発行となった。当時、細川熊本県知事が提唱した「日本一運動」を参考に、「日本一の露天風呂めぐり」を打ち出したのである。その後、入湯手形は、全国の温泉地に普及し、黒川温泉の果たした功績は実に大きい。
6、温泉カリスマとしての格言
道の角の向こうがどうなっているか、何か仕掛けのある街が歩いて楽しい街!
笑顔と親切な接客
7、温泉カリスマとしての講演テーマ
入湯手形発行の背景
ワクワク街づくり論
8、ホームページ他