東京で温泉と言うと、あまりピンと来ない方も多いかと思いますが、代表的な温泉で『蒲田温泉』や『六郷温泉』浅草の『蛇骨湯』などをあげるかたも多いでしょう。
ところで一番古い温泉と言うと、おそらく答えられるかたは少ないでしょうし、入浴したかたはまずいらっしゃらないでしょう。
最古の湯【森ヶ崎鉱泉】
江戸時代以前の文献は無いが、明治以降で一番古い文献で明治45年発行の『東京衛生試験所集報』では、『森ヶ崎』『穴守』(共に大田区)鉱泉の分析値が掲載されており、特に森ヶ崎は無料の公衆浴場や旅館、料亭、鉱泉病院も存在した一大温泉地と言ったところであった。
ところが、関東大震災以後はつれこみ専門の鉱泉街となり、一大歓楽街へと発展して行ったが、戦争の激化とともに工場の増加、旅館・料亭が工場の寮へと変貌していく。
森ヶ崎鉱泉のおもかげを探して【大森寺】へ
大田区文化財『森ヶ崎鉱泉源泉碑』のある『大森寺』
現在『森ヶ崎』という住所は存在しないが、現在の大田区大森南付近が昔の森ヶ崎であり、そこにある日蓮宗のお寺『大森寺』に森ヶ崎鉱泉に関する碑が存在する(大田区文化財)。
気になる泉質だが、明治33年3月の記録で、Fe²⁺が6.2mg/1kgと記されている。
煮沸すると赤褐色の沈殿物を生じ、湧出口の気泡に点火すると炎を上げて燃焼するという記録もある。
森ヶ崎鉱泉源泉碑について ~大田区教育委員会より~
明治三十四年(1901)に、森ヶ崎鉱泉の発見と泉効試験を記念して建てられた石碑である。
もとは立田野旅館の側にあったが、現在地に移設された。
正面には泉効をたたえた詩文が刻まれ、背面には180余名に及ぶ建立発起人の名が記録されている。
これらの人々は、おそらく鉱泉の開堀を発起し尽力した大森地区の有力者であったと考えられ、森ヶ崎鉱泉開堀当時の事情を伝える資料として貴重である。
森ヶ崎鉱泉は同35、6年頃には鉱泉宿ができはじめ、次第に東京近郊の保養地、臨海行楽地として栄えたが、太平洋戦争を契機として転廃業した。
昭和49年2月2日指定
大田区教育委員会
森ヶ崎鉱泉源泉碑のある大森寺は
JR大森駅・蒲田駅から京浜急行バス森ヶ崎行乗車、森ヶ崎十字路下車すぐ
森ヶ崎鉱泉碑を見学したあとは、大田区の黒湯を楽しんでみてはいかがでしょうか。